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ぶらりと見たもの

  • 201107野崎氏陶展5
    ぶらりと出会ったもの。実は写真をとるのは苦手です。
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映画・テレビ

2012年4月10日 (火)

ぶらりと”ニーチェの馬”

 生きるとはどういうことだろう。そんな原世界が目の前に現れ、いつのまにか、自分も嵐の家の一軒家に入り込んでしまう映画を見た。ただ、そこにいても従うしかない自分が浮き出てくる。生きるという反復の中には緻密さと美しさが充填してくる。生きるというなかで人は物に触れ、形を作っている。生きているだけで、創造者になっている。本来、そういうものであったはずである。今はどうだろう。生きるという無意識の行為まで洗練されたある意味の思考を忘れ、何かを勝手に妄想し始めていることが多すぎるのではないだろうか。向上心、目標、最適化なんかをはるかに超える思考・創造性を人間は持っていることを忘れてしまっているのではないだろうか。生きることは動であり、一過的に静という観点では全く捕らえることはできない。それを突き動かしている生きる源とはなんだろう。人間に意識を植え付けたものは何だったんだろう。答はきっとない。答がでるはずもない。動(変化)は言語では伝えられないのもその理由の一つだと思う。演劇とはなんだろうとまた考えてしまう。作品の中の繰り返す日常の中で、2名の役者の動きは研ぎ澄まされていた。息があってるなんて表現は足元にも及ばないぐらいの緻密性と融和があった。動きが研ぎ澄まされていくということは動きが思考と等価であるということなんだろう。動けないは感じてない・考えてないに等しい。逆に言えば、誰でも動いて考えているが。久々に自分の感動のレベルの低さに面食らってしまった。
http://bitters.co.jp/uma/
http://www.youtube.com/watch?v=tmhKEuxssgw&feature=player_embedded

2011年4月24日 (日)

ぶらりと”東京原発”

今、リア充という言葉が多く聞かれます。平成を迎えていつのまにか23年。昭和を入れたら何年たったのでしょう。我々はリア充だったのでしょうか。確かに、リアルはありました・・そう思いたいですね。若いやつに伝えることはもっているさと・・でも、これまでの過去はある意味バーチャルだったかも知れません。知らなかった?・・なぜそうなっていたんでしょう。今、Youtubeで2004年に公開された”東京原発”という映画が全編見れます。
映画公式サイト:http://www.bsr.jp/genpatsu/
youtubeサイト: http://bit.ly/ePVkLA

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