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2013年5月 4日 (土)

ぶらりと”身体”

 前回ブログ書いてから8ヶ月以上もたっている。驚く。時間というものが速いのだろうか?その力が分散してしまったからだろうか。自分は何をやっていたのだろうと問うてみる。どうやら、地球上にはまだいるようだが立っている位置がなくなっているような気がする。主体という境界がどんどん不明瞭になり、自分というものを作っていた粒子が雲のように拡散しているような気分である。といいながらブログを書いている。病んではいないんであろう。でも、自信満々の人をみるとゴブリンにみえるようになってきた。
 演劇についての考えも壊れては再構成され、また壊れている。ぶつかっているのは身体とはなんだろうである。私は周りから言葉の使い方が不自由(難解)とよく言われる。だってある言葉は何をさすのか人によって違うのだから大変だと思う。でも、最近思うのは身体である。人にお前の身体(動作)はよくわからないと言われた事はない(いや、少ない)・・よく考えるとこれはこれで怖いのではないだろうか。ある人に「最近、貧乏揺すりがひどいですけど、体が動きたくてしかたないんじゃないですか?」と言われたとき正直ドキッとした。なぜって?・・じゃ貧乏揺すりをしないかわりに何をするのか?という疑問が湧いた。たぶん・・屈伸とかヨガをするのかな?である。毎日、いろんなことを考えてはいる。でも、頭はたいして動かない(きっとさほど使ってないのだろう)。  
 で、身体は??・・日常的にさほど使ってない。では、身体を使うとはどういうことなんだろう。思考が言語なら行動は探索ではないのか?探索しないと生き物として大変ではないのだろうか。言葉と言葉の間を埋めるのも行動であろうけど、言葉が生成する源は身体(探索)のはずである。それを動かしてないという事は言葉をどんどん外部から取り込んでいるだけなんではないだろうか。・・TVをじっと見ている家族を見るとゴブリンに見える。といって、ジョギング(目的)とか自転車(道具)はちょっとちがう気がする。音楽も自分の場合、楽器(道具)を使う。
 いかん・・なにかが足らない。演劇の前にこの問題はもっと大きいかもと思った。

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