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2012年8月26日 (日)

ぶらりと「平田オリザの仕事」

 中古書でもいいから読んでみるかと「平田オリザの仕事」を読んだ。今更、目から鱗であった。主義主張・作為を演劇で伝達する時代は終わった。とすれば演劇は可能か?リアルな出来事・ありのままの世界を記述することのみ演劇の意義は残される。役者に表現をさせてはならない。役者を表現の不自由さから開放する。喋れない台詞はありえない。表現は主義主張・技術に繋がってしまう。戯曲に世界を描く、そこで役者は翻弄するだけでいいという。役者の責任は自由に台詞を言え、作品に関しての責任などない。演出者は世界観を理解し、役者を監視・助言する責任。作品に関する責任は戯曲家だけでいい。私はずっと人間とは何かを表現しつづける。実に明解な内容である。
 でふと考える。”なぜ”という問いは人生に必要なのか?真実・意義を見出すことは大切だけど非常に困難だし個人的なこと。意義はある意味、批評に繋がる。そんなことより丸ごと観察して、描いてみろ、描く中でしかリアルは生じないのではないかと。書くのではなく、描くということなんだろう。その結果、自分の知らなかったものに出会える。演劇は現実にできることと意識の循環・反復し、それを共有し、新しいものを創りながら感じる過程にこそ意義があるし、これからの社会にもそこが非常に重要な気がする。やりっぱなし・・感じぱなし・・回数があって連続に見えても何も生じてはいないことは周りに多いと思ったりする。
 しかし、この時期にまた読んでしまうとは。よっぽど自分は鈍感なんであろう。

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