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ぶらりと見たもの

  • 201107野崎氏陶展5
    ぶらりと出会ったもの。実は写真をとるのは苦手です。
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2012年8月

2012年8月26日 (日)

ぶらりと「平田オリザの仕事」

 中古書でもいいから読んでみるかと「平田オリザの仕事」を読んだ。今更、目から鱗であった。主義主張・作為を演劇で伝達する時代は終わった。とすれば演劇は可能か?リアルな出来事・ありのままの世界を記述することのみ演劇の意義は残される。役者に表現をさせてはならない。役者を表現の不自由さから開放する。喋れない台詞はありえない。表現は主義主張・技術に繋がってしまう。戯曲に世界を描く、そこで役者は翻弄するだけでいいという。役者の責任は自由に台詞を言え、作品に関しての責任などない。演出者は世界観を理解し、役者を監視・助言する責任。作品に関する責任は戯曲家だけでいい。私はずっと人間とは何かを表現しつづける。実に明解な内容である。
 でふと考える。”なぜ”という問いは人生に必要なのか?真実・意義を見出すことは大切だけど非常に困難だし個人的なこと。意義はある意味、批評に繋がる。そんなことより丸ごと観察して、描いてみろ、描く中でしかリアルは生じないのではないかと。書くのではなく、描くということなんだろう。その結果、自分の知らなかったものに出会える。演劇は現実にできることと意識の循環・反復し、それを共有し、新しいものを創りながら感じる過程にこそ意義があるし、これからの社会にもそこが非常に重要な気がする。やりっぱなし・・感じぱなし・・回数があって連続に見えても何も生じてはいないことは周りに多いと思ったりする。
 しかし、この時期にまた読んでしまうとは。よっぽど自分は鈍感なんであろう。

2012年8月15日 (水)

ぶらりと”退団”

ぶらりと”退団”
 演劇集団らせん第5回公演「秋の千草」が終了した。ご来場頂きました方々、ありがとうございました!今回はこれまでの作品とは違い、日常生活の舞台でした。毎日、人間は日常を反復するがその中に気が付かない恐ろしいほどの可能性を膨らましていく、それが現実で不連続なものとして現れることがある。しかし、人間はその状況でまた反復しはじめるとてつもない力をもっている。生きていることは瞬間に閉じ込められている。誰にもわかるはずがない。私にとっても意味深い作品でした。

 私はこの集団に入り、一番感謝していることは人間が真摯に表現するという場を与えてくれたことだと思っています。ある意味、非常にレベルが低いと思われるかもしれません。しかし、自分の思いと役の思いをおき、その間で立ち上がるものを現実に出してみる(表現する)ということはなかなかできる機会はありません。さらに、環境と自分との関わり合いが舞台では立ち上がってきます。そうなると、自分が希薄になっていきます。演劇の要素のひとつとして溶け込む感覚が生まれてきます。・・・ふとそこで思います。これって人生に近いし、逆にとても自然なことではないだろうかと。たぶん、大切な演劇の要素の一つはそういったことを見つめていく意識と現実化しようとする行為なんだろうと。また、それは人間としても人生(反復)において大切なことなんであろうと。
 前回、ブログに境界について書きました。舞台というものに敷居(境界)を置くという考えもあると思いますが、境界がないものを創るということにも意味があるとも思います。演劇集団「らせん」にも境界はないと思っています。「らせん」は反復なんだと思っています。
Photo_2

稽古の反復からたまたま生じた絵

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