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ぶらりと見たもの

  • 201107野崎氏陶展5
    ぶらりと出会ったもの。実は写真をとるのは苦手です。
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2012年5月

2012年5月20日 (日)

ぶらりと”少年と夏”

膝までくると心臓がびくんとくる
冷たい水
雑木林の薄暗いトンネル
ひとりが歩き出す
背中を追ったただ
傷が白くなるまで川の中を進んだ
怖くなかった
楽しくもなかった
みんながひとつだった

2012年5月12日 (土)

ぶらりと”Odawara Jazz Net"

この度、長い間放置していた”Odawara Jazz Net" を閉鎖致しました。来年でラストのジャズ祭から10年がたつんですね。ふ~んと感慨深いものです。でも、あの時のみなさんの気持ちはふわりふわりと今もみなさんの心の中で、間で、湧き上がったり消えたりしてるんでしょうね。それはそれで過去もまた未来かもしれませんね。ちなみに私のブログでは左に”Odawara Jazz 祭の記憶”として窓を作っておきます。niftyがあるかぎり残されると思います。

な~つがく~れば思い出す~。ビール美味かったなぁ。

Odawara Jazz 祭の記憶

2012年5月 2日 (水)

演劇集団「らせん」公演情報

2年ぶりの第五回公演決定!
「秋の千草」
8/12日(日)南足柄市文化会館
http://engekishudanrasen.vci.vc/

 ことしはこれまでとは違った「らせん」の一面が見えてくるかもしれません!

ぶらりと”自分?”

自分探し。ある意味、使い古された言葉である。出来事はすべて脳の中でおこるなら、自分と出会おうとしているのは誰なんだろう。出会うということ目で見、喋るということだろうか?ひとり、ぼけつっこみをすることだろうか。なんだか、ぴんとこない。根拠として視覚・感覚を新しく探したり、確認したり、整理したりすることだろうか。見てきたものにも、感じていたものにもその答はなのだろうか。考え方の整理も今まですでにしてきているはずではないだろうか。たぶん、人は自分の奥底に巨大に広がっているもの、無意識のような領域から時折何かがやってくることを知っている。だから、「今とはちがった何かへの気持ちの高鳴り」を感じたいだけではないだろうか。「その気持ち」はきっと自分と関わる出来事の関係をつくりだす源のエネルギーのようなものではあるが具体的方向を持つものではない。でも、「その気持ちは」生きることにまつわる出来事を繋ぎ合わせていく大切なものである。「その気持ち」は生きものとして共通しているものであるように思えるし、互いに共鳴するものである。だから、「その気持ち」は自分とは直接関係がない。自分も思考(出来事)の連鎖のひとつの結果であり、脳が一時的に作り出している環境と個の接点像と思う。人間は出来事の連鎖の関係に喜びを感じてしまった。しかし、偶有性の伴った自然の出来事連鎖の関係への本来的喜びではなく、客観という幻想からの安定な出来事そのものに縛られてしまった。出来事を私物化・価値化しようとする。我々は偶有性のある連鎖の関係生成こそ生きている幸せを感じると思う。たとえ自分が終わろうとも。
 表現とはなんだろう。きっと、それは主観や客観の出来事とは違う「その気持ちの」投影であるような気がする。現代においてはそれを守り、伝えなくてはいけないのだろう。その投影から生じる出来事の関係をもっと感じたいと思う。

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