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ぶらりと見たもの

  • 201107野崎氏陶展5
    ぶらりと出会ったもの。実は写真をとるのは苦手です。
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2011年5月

2011年5月16日 (月)

ぶらりと”基礎情報学”

やっと読了。基礎情報学+続 基礎情報学(西垣通)。これからの情報社会における心、身体と社会(メディア)との関係においての提案が書かれています。客観社会なんてものはない。正義、現実も虚構にすぎない。我々は人間関係を自己創出的に創り出し、その人間関係が上層システムにおいて現実という像を作り上げているだけである。当たり前といえばそうかもしれない。でも、これは人は一人では幸せになれないし、コミュニティに属せば必ず幸せなれるかといえばそうでもないということである。その、基盤は行為とともに身体性から発生している。それが言語表現に変換される。その変換のプロセスこそが非常に重要な意味をもつ。さらに、一人称から三人称の橋渡しがさらに重要なことである。読んで、そこにはやはり演劇というものがすごく重要な意味があるように思えてならなかった。別に演劇を既存の芸術性でどうのこうのは関係ない。自分は行為として演劇を選んでいるのであろう。大切なのは個を超えた地平をもつ集団ができるということなのであろう(できるかどうかなんてわからないが)。現実は結果にすぎない。さぁ、ぼちぼち読書は休もう。やること山積みだった。。

基礎情報学:http://amzn.to/ikbeYP
続 基礎情報学:http://amzn.to/jJJFqF


2011年5月 2日 (月)

ぶらりと"Mingus"

ながれてくる音・音楽ってなんだろう。Jazz,Rock・・分類されているCD屋。生まれてきた世界はすでに分類されていた。だから、勉強なんてものを自然にすることができた。勉強したから人と話せる。話せば知識がどんどん増える。人生は充実。もっといろんな音楽を聴いてみよう。それなら、図書館の中で暮らせばいい。・・・最近、CD屋に行ってもそう楽しくはなくなってきた。図書館にいるように視聴しているだけだからかもしれない。分類されていることがしっくりこない。Mingusを聞いてて感じた。聴くということは自分の体を晒すということではないのかと・・奏でるところに行き、晒す。意識をどれだけ裸にできるか・・分類されている服・職業や環境を脱ぎ捨て、分類されようもない自分までいきつき、つまりは自分をなくし、楽器になることなのかもしれない。ミンガスの楽器になってみたかったなぁ。どっかにいるかな?・・そのうち会えるような気がする。

Charles Mingus Album: Let My Children Hear Music
Mingus
Hobo Ho:http://bit.ly/laAJKu
Adagio ma Non Troppo:http://bit.ly/d0xjDQ
Don't Be Afraid the Clown's Afraid Too:http://bit.ly/bubeyS

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