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ぶらりと見たもの

  • 201107野崎氏陶展5
    ぶらりと出会ったもの。実は写真をとるのは苦手です。
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2011年1月

2011年1月30日 (日)

ぶらりと演劇集団らせんHP

祝!!演劇集団らせんのHPが復活です!。今年こそ新作を!星に願いを!
http://engekishudanrasen.vci.vc/

ぶらりと陶

伊勢治書店新九郎ギャラリーで行われている野崎真治郎氏の陶展を見に行ってきました。器は女性は大好きである。なぜだろう?・・勝手な想像ですが、それは母性の象徴でもあるのではないかと思うのです。花器であれ、どんぶりであれ、壺であれ、そこに生き物(食べ物)を包み込む役割・・その源は子宮にもつながると思うのです。一つ目の作品の柄をみていると人にも動物にも見えてくる気がします。全ての生き物の発生を促すような。二つ目の作品は雲のようにも見え、空、大気もまた地球を包む壺ではないかと、そこに内在された我々は生きるということを全うしなければならない。そんな気がしてきました。野崎さんは器は触らないとわからないと言っていました。確かに、生き物と器は隣あわせと感心してしまいました。最近は彩色をトライしていると言ってました。写真はとりませんでしたが、実になんともな朱色が自分は好きでした。笑われそうですが、野崎さんの優しさがにじみでている色だなぁなんて思います。作品の中に野崎さん自身のように見えた作品がありました。それは秘密です。陶展は月曜までです。
http://www.0465.net/omise/iseji/index.html?CATEGORY=952
Nozaki_1 Nozaki_2_2

2011年1月27日 (木)

ぶらりとサンフランシスコ2

そうです。ゴールデンゲートです。おのぼりさんです。。でも、この場所、ガイドブックではなかなかすっきり行く方法が書いてないんです。よし、それなら、これこそ「ぶらり」だと決行しました。ミュニ(路線バス)に乗って、フィッシャーマンワーフまでは楽々だったんですが、そこで通りすがりの人に聞くと、「バスでいくつもり?遠いよ」と言われ、歩いてみると遠い!不安でその辺のおばあちゃんに聞いたら、「ほら、あそこに小さく見える橋」「あれ!?」「安心しな、バス停はすぐそこ」「よかった」「あんた帰りはどうすんの?」「76番で」「そんなバスは知らないよ」「げ!」「Chestnutで乗り換えるの、30番に」「トランスファー券をもらっときな。時間まではバスは乗り放題だよ」「は・・(帰りが不安)」・・バスに乗り、着きました絵ハガキの場所に!・・ふと見ると自分のガイドブックは5年前のものでした。。帰りは・・バスはドライバーがいるので助かりました。迷った時は人。一番怖いのは人のいない場所ですね。
Photo

ぶらりとサンフランシスコ1

カンファレンスの懇親会帰りにユニオンスクエアの近くで撮りました。何でしょう?・・・・・この上であの有名なケーブルカーが方向転換のために回るんです。ずっと回ってるんですね。ずっと・・。柿の種の裏に書いてある「けなげくん」が頭をよぎりました。ケーブルカーはファッションショーのモデル気どりなわけでしょうが。。。こいつは・・。よし、撮るよ~ということで。・・ん?機関車トーマスの仲間(http://www.thomasandfriends.jp/index.html )にいるかも?・・いるわけない!
Kenage

2011年1月25日 (火)

アジア美術館

アジア美術館
世界最古のブッタの像、、

2011年1月21日 (金)

ぶらりとコロナ湯

家の風呂が壊れたのではじめてコロナ湯へ。正直、浴場で「むむ」という匂いがして、引いてしまったが。露天風呂があった。久々でした。冬の露天風呂は最高です。湯面を湯気が山をなでる層雲のように走るのをみていると、自分自身が高く高く上がっていくような気もちになります。目を閉じると自分の輪郭がほぐれ、空間の一部になっていく、水音が自分を伝っていきます。本来、温泉は地球や自然を水を介して感じるパワースポットではなかったのかぁなんて思います。きっと、気持ちいいって「いい」という言葉だけでなく、人間やこの世に大切な原始的な感覚を内在しているんでしょうね。そういった感覚に埋没すると、人間の表面にあるかさかさの言葉や記憶は剥がれていってしまうのかなぁなんて思います。残るのは何ぞや・・・温泉場を舞台にするのってどうかな。。

2011年1月15日 (土)

ぶらりとハンバーグ

Cafe Ten(本ページからもlinkしています)のハンバーグです。Lowの自分はだいたい豚の生姜焼きなんですが、この日は高熱のせいで脳みそが子供になったのか、ハンバーグを頼みました。たぶんそれくらい、正直、食欲もなかったのです。なのに一口食べた瞬間・・なんやろ?なんでこんなにうまいんやろ?・・グルメっぽく、口の中でどうのこうのではないのです。まいう~なんてでてきません。余計に頼んだ小ライスなんですが、互いに尊重し合うように手(体)が勝手にライス、ハンバーグと交互に口に入れてくる、食欲の歯車が動き出す感覚です。食いながらも、考えました・・なぜこんなにうまいんだ?・・そうだ!肉汁が少ない。熱くない?・・それが答え?・・え?・・(時間経過)・・・このハンバーグはもしかすると、いろんな人がいろんな味に感じさせられる”何かのコアだけ”を持ってるだけではないかと・・肉汁にしても出ればいいもんじゃないですよね。くだらない口の中の火傷の元になるだけです。それより肉、それもミートされた肉を感じてたいはずです。それでいて自己主張した適度な固さ。ミート肉とデミグラスソースの距離感のある相互依存性。・・その時、「質実剛健」という言葉が吹き出てきました。調べてみると、ハンバーグはその昔、労働者向けの質の低い料理から始まったそうです。逆にいえば労働者に愛された料理だったかもしれません。その歴史をこのハンバーグは引き継いでる?。そんな勝手な妄想をしました。子供なんぞにくわすのはもったいないのかもしれませんね(冗談)。おかげで復活しました。安部さんごちそうさまでした。

2011年1月12日 (水)

ぶらりと高熱

まだ、今年に入って会社に1日しか行っていない。出勤後に風邪をひいてしまったのです。毎度の39℃との戦いがはじまりました。変と思われるかもしれないけど、高熱でぼ~としてくるとある意味気持ちがいい。自分の社会性や言語が剥ぎ取られて、自分の肉体との対話だけがはじまる。裸の付き合いというのはおかしいが。全くやる気のない自分を素直に受け止めることができる。夜中に急におきてアイスクリームをむさぼり食べても自由である。ずっと、起きているのか、寝ているのかわからない時間が続く。いる場所はいつものところだが、今いるのは私の底の部分なのかなぁと思うし、病は気からの気はきっと無意識を含めたもっともっと深い意識構造からくるのではないかなと思う。やっと、回復に向かうと何やらを高熱に溶かされたような身の軽さを感じる。人にとって病はとても大切な関わりがあるのであろう。若い医者であったが、安易に抗生剤を処方しなかったのは偶然かもしれないが、いい医者なのかなと思った。

2011年1月 9日 (日)

ぶらりとUSTREAM

たまたまPCを開けると坂本龍一氏の韓国ライブをUSTREAMでやっていた。視聴者が6800人以上である。USTREAMは誰でも流せる。凄い時代になったなぁと最近よく思う。USTREAMやYoutube,電子ブックがこれだけ身近になってくると、メディアの乗せるものとメディア自身の関係が改めて考えなくてはいけないことになるんだろうなぁ。音楽、演劇というものもメディアが受け皿の一つのように思える。でも、乗せるものと乗せられるものは微妙な関係のような気がする。乗せるものは生、乗せられるものは技術である。人間と舞台も元はそうであると思う。だから、何も変わっちゃいない。変な焦燥感は意味がない。今、大切なのは、技術に頼らない、人間(生)に対面することのような気がする。人間(生)とはなんだろう。当たり前のことが最も大切なだけである・・

2011年1月 6日 (木)

ぶらりとユング

いまさら、ユングを読んでみた。古びてしまった教科書かもしれないが、読んでみると面白い。言語、意識-心像-無意識, 自我, 自己。意識も宇宙、その宇宙の中を上下、左右もわからずに冒険しているような面白さがある。ふと、台詞というものを考えるとそれは自我に似た氷山の一角に聞こえるだけなのであろう。その深遠な深いところの普遍的な無意識で観客はシンクロするのではないだろうか。もしかするとそれは役なんてものは一義的な見方にすぎないかもしれない。役があって台詞があるのはひとつの見方にすぎないかもしれない。また、因果律という視点は納得感、お得感があるだけのような気もする。ぶらりと読んだ割にはこれは今年、尾をひきそうな気がする。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4563055115/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

2011年1月 5日 (水)

ぶらりと水仙

散歩中に水仙を発見。そういえば、ナルシストって?・・調べてみた。。。ナルキッソスは呪いで鏡(水面)に移った自分に恋し、思いが答えられず、苦しみ死んでしまうんですね。死んでしまうとは知らなかった。ナルシストは単なる自己愛と思っていたが神話は違うんですね。自分が好きでも、その自分から報われない・・・こっちのほうしっくりくるなぁ。だから、水仙はずっと下(水面)を見てるそうです。まぁ、こいつも頑張ってるんだと思ったりしました。これからは、おい!起きろ!と声をかけてやりたくなるかも。”日本寒”水仙ですが・・
「photo-1.jpg」をダウンロード

2011年1月 3日 (月)

ぶらりと初詣

散歩のついでに二宮神社へ・・・なんだ、この行列は?3日というのに初詣行列が神社の中ほどまで続いてた。しかたないので、列についたが・・・何だ?何だ?手水所でお清めもせずに列につく人の多いこと。2礼2拍1礼どころの騒ぎではない。昔、自分がそんなことをしようものなら親にひどく怒られた記憶がある。信仰心とかどうのこうのではなく、”礼”って大事だと思う。その裏には”畏怖”がある。自分なんかすごく小さく、あっというまに握りつぶされてしまう力が存在して、怖いのである。畏怖さえ知らなくなった現代人。なんだか、畏怖がならんで見えた。みなさん、強くなりましたね。まるで、鬼の行列だ。自分には無理である。

2011年1月 1日 (土)

ぶらりと新年

21世紀もはや11年です。ずっと子供のころに比べて何が変わってきたのでしょうか。自分の周りの情報がやたら便利になって使い勝手がよくなってきただけ。環境、戦争、経済は口をそろえて、サステナビリティーなんて言ってます。思考が感情を置き去りにし、感覚や直感なんぞ奴隷です。心の時代なんて文字に書いても、文字に書けることがさぞ見えやすくなってるだけです。何もかもがいっぱいいっぱいって・・実はいつのまにか、なにもかも空っぽになってきたのかなぁなんて思います。だ・か・ら?今年はぶらりと新年にぶつかってしまいました。

ぶらりと除夜の鐘

ぼ~ん。ぼ~ん。体の中が調律されるような感覚。。ふと、この音はF?と思った。今年初めてラッパに口をつけた。やっぱりF(ラッパではG)。。いつもラッパを吹くときは除夜の鐘の音を出してるんだ・・・そうなんだ。なんだろうこの納得感。

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